1016◆「みんな」について考える #思っちゃった

気になった事をTwitterなど手がかりに言葉にするコーナーです。今回は「みんな」とは何か。「正しいみんな」ってあるのか、を考えます。

ひとりより二人がいいさ、二人より三人がいい。じゃあベストは何人なんだろう。多ければ多いほどいいのかな。でも大勢になって「みんな!」って呼びかけられると急に緊張します。みんなという一つになるのは楽しくもあり、怖くもあるという話です(ポン)


ランキングってもう古い売り文句なのかもしれない

音楽のランキングはもはや諦めたら、というツイートから始まる話です。
https://twitter.com/shu_iwasaki/status/1264228072644947968
最新曲とか、提案曲とかを主軸にしたらということなのです。ランキングはわかりやすいものですが(オリコン5週連続ナンバー1とか)、もはや時代遅れなのかもしれません。実質的な趣味趣向の多様化とのバランスも悪いし、そうなんとなく皆が聞いているとかそういう物差しは古い?のか。あ、「いいね」がついているのが良いのかな。あれおんなじことじゃない。どうなのどうなの!


一体感から逃げてしまいたくなる自分

最近は、医療従事者の感謝のためのブルーインパルスやら、コロナ終息願いの花火など心に投げかけるイベントが続きました。そういえばオリンピックも復興五輪とか言ってました。もちろん1つ1つ丁寧に中身を確認しないと、まとめてしまうのはいけないのですが、なんとなく、みんなが一つになるという感じがするものには、どういう態度をとっていいか、最近特に迷ってしまいます。

ブルーインパルスはなぜ都心を飛んだ? 「政治利用」「迷惑」の声も
https://www.tokyo-np.co.jp/article/32922
ごまめの歯ぎしり ブルーインパルス
https://www.taro.org/2020/06/%e3%83%96%e3%83%ab%e3%83%bc%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%91%e3%83%ab%e3%82%b9.php
新型ウイルスの終息を願う花火、日本各地で一斉に
https://www.bbc.com/japanese/52887104
IOC会長 東京五輪 来年開催できない場合は中止もやむをえず
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200521/k10012439051000.html


みんなは力になる。当たり前と言えば当たり前

一方イギリスでは、5月26日夜、感染対策の最前線で働く人たちに感謝するために有志が企画した「Clap for Carers (医療・介護従事者に拍手を)」というキャンペーンが行われました。王族やボリス・ジョンソン首相も一般の市民も多数参加していたようです。テレビの報道によれば、多数の人が拍手をしています。この一体感。実際は一枚岩では無いと思うのですが、今日本で似たようなことがあったら参加できるだろうか。考えてしまいます。これは私の性格の問題なのかww
香港は中国の強制的な支配から、正当な権利を得るため、手を携えて戦っているように見えます。検察庁法改正へのTwitterデモも、程度は違ってもなんらか影響力を作ることはできたでしょう。リアルでもネットでも、皆は大きな力になります。
もちろん私たちの身の回り、仕事場でも、家庭でも、思想的統一はしないまでも、ある程度の協力関係を保つことで、経済的生活的な力を保持する事ができますし、それとても重要過ぎて当たり前ですよね。


違和感いろいろあるけれど、仲間意識がなぜか気になる

編集者の箕輪さんが、セクハラおよびギャラ不払いのような疑惑を持たれている中、彼のオンラインサロンの様子がネット上ではみ出して見えています。仲間? 内輪? その輪がなんらか歪ませている気もします。はだかの王様みたいなことなのかもしれません。
つるのさんが「安倍首相にお疲れ様、ご苦労様を言いませんか?」とツイートしました。
https://twitter.com/takeshi_tsuruno/status/1264891003493683205?ref_src=twsrc%5Etfw
なんで国民みんなに提案してるのよ!と突っ込みました。いちおう言いたいことの意味はわかります。そこそこ忙しい人ではあるでしょうし、駄目な人でも人は人(まあ個人的には駄目と判定はしているのですが)。無論体制はすべて駄目!というのもひとつ見識でしょうし、それで言えば逆もそう。でも最も苦しいのは「みんな」と肩を抱えようとする感じ。もしつるのさんが知り合いなら「まあそういうこともあるけどもさ」とか勇めながら説明とかするんだろうけど、Twitterを介して空へ叫んでしまう感じ。それが彼にとってのTwitterなのか。仲間意識って、こんな苦しいのだっけ。


オリンピック決定時の断絶感

2020のオリンピックが決まった時のあの熱狂が気持ち悪かった。23時くらいのニュース番組は横並びで皆が何だか喜んでいる。別にスポーツ好きだから喜んでいるわけではないだろう。なんというか勝ちたかっただろうし、なんか一体化できるし、とかそういうことなのだろうか。経済が活性化する、イエーーーイ。とかそういう生々しい人がいたなら、その人の話は聞きたい。私はいい加減だから、カーリングも、ボブスレーも、パラリンピックの競技の数々も、もちろん100mとかも観たら観たで面白いと思うだろう。
でも、あの「トウキョウ」の日はとにかく取り残された感じでいっぱいだった。あんなに一体化できるのか。「ベタなのがきらいなんでしょ」と言われれば、そういう面は否めないです。ねじ曲がった自分も含めて、ベタにみんなになるのが、ちょっと苦手になってしまったのです。


「みんな」になりやすい尻馬にのっている

アメリカのデモは、許せない差別と苦しい格差の実態が噴出してしまったのかもしれません。実態がどれ位なのか、ニュースでしかわかりません。しかし、こんなニュースも出ています。
「自分の地元をめちゃくちゃにしないで」 死亡した黒人男性の弟
https://www.bbc.com/japanese/video-52888734
もはや「みんな」と言えるのか。各々がみんな風な顔ができるから利用しているだけなのかもしれません。


わからないままに、一人にならずみんなにならず

支持されれば嬉しいし、ファンが増えれば気持ちがいいし、暮らしも楽になるかもしれません。繋がる事は混ざり合うことで、自分と違う存在を知ることはまた自分を知ることでもあります。
違うということと、なんらかしらの合意を作ることは、相容れると思いたいなあと。一人では生活しずらいのです(正直、孤独ほどおっかないものはない)。
さあでは、みんなというものとどう付き合うか。いやいやコロナもそうですが、みんなで取り組まないと進まない世界でもあるわけです。

すべてをまとめて、「みんな」がいいとか悪いとかではなくて、個別具体の話なのだと思います。たぶん、おそらく、そうじゃないかなーー。わからん。

 

追記:
改心しないオオカミ少年は信用おけないよ、という話なのだろうか。
正直で、情報開示をしっかりして、多少失敗しても生真面目な人が、旗を持っていたらみんなになる事も時々ならいいのかな。否、誰かが旗を持っているだけで無理なのか。

 

以上、
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