1637◆その迫力とお隣さん感の組み合わせに顎外し(社会の写し鏡でもある)~東京都渋谷公園通りギャラリー「ニッポン国おかんアート村」の感想 #イベントリポート

イベントで体感して見えた感じたことを共有したい。今回は東京都渋谷公園通りギャラリー での展覧会「Museum of Mom’s Art ニッポン国おかんアート村」に行ってきた話です。https://taneraji.com

Podcastと別で、ブログ版も書きました。似てるけれどちょっと違う内容をまとめています。ポ

たくさん見てきたはずなのに全然見ていなかった、生き様みたいなそれ

「アート」という言葉使い。その定義の話は私にはあまりに荷が重いが、勝手ながらイメージはある。あくまで括弧書きの「アート」。それはまだ括られていない圧倒的なパワーのある表現、位なイメージだ。括られてしまったらそれは括弧が取れた、もしくはビジネスとして成り立つアート。僕らの手から離れたものという感覚だ。そんなもんお前の勝手だろと言われたら全くその通りだが、自分の手の中にある内とそれ以降で、魅力的だとしても少し違う感じがするのだ。

今回、東京都渋谷公園通りギャラリーで開催されている展覧会「Museum of Mom’s Art ニッポン国おかんアート村」にいってきた。これ説明が難しい。実際の存在している作品を見れば、それが存在していることは明らかなんだけれど、その説明として業界的価値やらを語ることができないのじゃないか。まあ自作の手芸で作られたカバーや人形や暖簾や袋やカバー(とにかくなんでもカバーなのだ)などである。例えばキューピーちゃんの着替えとかハサミのカバーフクロウとかトイレットペーパーのカバーキャラクター、ウイスキーのカバー人間とか(よくわからないと思うけれど本当にそれ)。でそれが芸術の域まで、、、とかでもない。なんならそういうキットが販売されていたりして、オリジナルですらないかもしれない。んん、そこにオリジナルという価値判断すら意味がないのかもしれない。作品を作るにあたり伝道師のような人がいて、みんなで集まって同じようなものを作る。逆に同じように作りたくても似ないとかもあるし、瞬間のきらめきで、「かわいい」なんかも生まれたり。似たようなものを何度も見たことがあるが、ちょうどいい誉め言葉を持っていなかったことを思い出す。

素材も重要かもしれない。買い物や手に入れた袋や包装紙やよくわからない紐、服飾作業で余った布や毛糸。使えそうなものをすべて有効活用するという感覚がバシバシ伝わってくる(実際は大量に残っていたり、使えるものは個別に買ったりもあったりするだろう。それも可愛い気がする)。つまり手に入れたものに無駄はないのだ。そこに「無に有を見つける」とかそういう思想もあったりするだろうし、ないかもしれない。でも他人から見ると、世界の道具の機能やら意味みたいなもののゲシュタルト崩壊がここで起こっていると思うと、現象としての魅力におおおとなってしまう。やっぱり気になるのはカバーなるもので、カバーには無限の可能性というかやりようがあるんだなって思わせてくれる。形あるものはドアノブでもボックスティッシュでもウイスキーでもハサミなんでも包めるのだ。なぜ包みたいのか。それ自体は好奇心を掻き立てられるものだけれど。世界がどんどん包まれる感じは新しいヴァーチャル空間、シンメタ・クエスト的なものではないだろうか。いや違うか。中身と外見と意味と機能が溶けあって、すべては一体になる。

単体で成り立っているそれも(作品ともアートとも概念としてツマラナイけれど、実際はどうでもいい気もする)不思議だ。多くは動物の形をもしている。人気キャラクターを模しているものも多い。どのキャラクターが作品化されるかの分布図でも作ると、キャラの浸透度が見えてくるかもしれないが、この30年位は打ち止め状態なのかもしれない。ともかくも止められない無限の手芸に取り込まれるともいえるし、馴染み、みたいなものでしかないかもしれない。そうなってしまったという感覚が近いと思うんだけれど、何で作っているのという話で、ひと盛り上りしてみたい。そんなことを考えるのは、お喋りのタネでしかないということも含め。無論、この無限の手芸の裏に隠された社会的事由もあると思う。世界に目を向けても似たことがあるらしいけれど、これがもっと民俗的な土着的なものを作っていたら急に世間は雰囲気変わるのではないか(異国バイアスもあるかもだけれど)。女性の抑圧やら、女性への偏見、役割の押し付け、性的役割に限らず、意図していないが故、これは社会の縮図ともいえるかもしれない。だからきっと社会学で、なぜ妙齢女性が手芸をするのかということは論文でも出てるんじゃないか。

作品を見たい方は、会場に行ってほしいけれど、実家とかオバサンちとか、ちょっとした下町のお店のショーケースとか、公民館の受付辺りとか、そういうところにもたくさんあると思う。本展のキュレーター都築恭一さんと下町レトロに首っ丈の会の編集の切り口を携えていけば、いろんなところで作品が見守っている。なんというか挨拶みたいものと思ったら簡単ではないか。ただ向こうは手芸で挨拶してくるのにこちらは手ぶらなのがバランス悪い気もするし(それ出されても困るってそういうことだと思う)、恥ずかしい感じもする。かといってむやみとほめるのも僕の場合は難しい。でもそのウイスキーボトルカバー人形はこっちを向いている。この胸襟が開いている自由な感じを、いろんな場所でそこはかとなく受け入れてみるといいのじゃないか。「こんにちは」とかつぶやいたりして。

おかんアート村の作品と対峙することは、なんとも愉快な時間だった。どっちでもいいのだけれど「括られていない圧倒的なパワーのある表現」という意味では「アート」でしかない。で、そんなことを作者たちにうっかり話すと盛り上がったりしそうな心配をしたりしている。ああ、久々におばちゃんちに行って、いじってみたいなあ。

<見に行った展示>
◆展覧会「Museum of Mom’s Art ニッポン国おかんアート村」

2000年代初頭から「おかんアート」と呼ばれて密かに注目されてきた、「母」たちのつくる手芸作品の数々、1,000点以上を紹介する展覧会です。各地域の作り手による「おかんアート」は個々に素材やスタイルの工夫や違いはあるものの、どこか共通点も多いことが特徴と言えそうです。本展では、都築響一のユーモアのある視点から「おかんアート」を再考してご紹介します。さらに、「おかん宇宙のはぐれ星」と題した都築響一特選の3名の作家による特別展示も行います。

会期:2022年1月22日(土)~ 4月10日(日)時間11時~19時
閉館:月曜日(ただし3月21日は開館)、3月22日(火)
会場:東京都渋谷公園通りギャラリー 展示室 1、2及び交流スペース
入場:無料
キュレーター 都築響一+下町レトロに首っ丈の会
※特別展示「おかん宇宙のはぐれ星」は、都築響一のキュレーションとなります。
出展作家 伊藤由紀、奥眞知子、尾本節子、木越貞子、久保山みどり、系谷美千代、香坂司登美、 後藤知恵子、佐藤イヱ、高桒義一、新居光子、西村みどり、藤井孝子、藤岡純子、松田多瑞子、 森敏子、山田二三江
他、各地の皆さま
主催:(公財)東京都歴史文化財団 東京都現代美術館 東京都渋谷公園通りギャラリー
https://inclusion-art.jp/archive/exhibition/2022/20220122-119.html

#おかんアート村
https://inclusion-art.jp/archive/event/2022/20220122-128.html

<参考>
◆早稲田松竹アート劇場
http://www.wasedashochiku.co.jp/art_gekijo/art_top.html
早稲田松竹映画劇場のお掃除担当:オギノさんの手によるリサイクルオブジェ
劇場男女トイレの鏡前、および券売機よこの植え込みに飾っていた。

◆【渋谷・必見アート】都築響一キュレーション 驚異の脱力「おかん」アート
https://creators.yahoo.co.jp/lunasubito/0100186836

以上、
週末の配信回「タネメガネ」では今回の番組を少し振り返ったりしています。そちらもどうぞ。
https://taneraji.com/series/tane-look-back/

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